objectivity.

ものさしとは、長さをはかる道具である。

今までの、僕の周りの人や、環境。
今までの、あなたの周りの人や、環境。
それによって、それぞれの目盛りの幅が決まってくる。

僕らはそれぞれが、それぞれのスケールを持っている。
この感覚は、この世に生れ落ちたその時は透明でまっさらのそれだ。
そこに、時間の経過とともに、それぞれ幅の違う“目盛り”を刻んでゆく。
その時間の経過は、メモリーと呼ばれている。







この世に生れ落ちたあの時から、今。そしてこれから。
あなた自身と同様に、そのメモリも常に変化し続ける。
心に1つ、握り締めたそれを頼りに、あなたは色々な長さを測る。



そのものさしはそれぞれが1つしか持っていない。
それが、変化していくのだ。

すなわち、「 “今” のあなたが、 “今” の、そのものさしではかる。」 それしかない。
過去にあなたがその手に持っていたものさしはもうどこにも無いし、
もちろん未来となれば尚更だ。

過去のあなたは、今のあなたを測れなかった。
しかし、今のあなたは過去のあなたを測ることができるだろう。
以前測った、あの時の自分自身を、今ふと思い出してもう1度測ってみる。
きっと、メモリの幅が変わっているはずだ。
そう、時に流れ、常に変化しているのだ。


そしてもう一つ、僕のものさしで測れるのは僕だけだ。
同様に、あなたのものさしで測れるのはあなただけ、だ。

正確に言うと、他人のことを勝手に測れることは測れる。
しかし、それは全く意味のないことだ。
評論家は要らない。

人の数だけ在るその無数のものさしは、当たり前に、それぞれ目盛りの幅が違うんだ。
ひとつとして同じものは存在しない。
正に十人十色。
千差万別といっても全く差し支えない。
この世に同じ人間などいないのだ。





例えばここに、それぞれ1目盛りが「1センチメートル」と「1インチ」という幅の定規がある。
それでひとつの同じ対象を測ったとする。
おそらくそれぞれ違う数字が出るだろう。
しかし、その対象はひとつ。 
と、そういうこと。

長いとか短いとか、早いとか遅いとか、明るいとか暗いとかは、全て何かを基準として評価しているわけだ。
しかし、その基準とは何だ?
と、そういうことだ。






      僕らは、 『比較すること』 に囚われ過ぎてはいけない。
        
                
              ものさしとは、強いて言うならば、変化をはかる道具である。
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by room0126 | 2007-08-19 06:39 | Writing | Comments(7)
Commented by yoko at 2007-08-23 23:27 x
ルールは決定ではなく、決定であるかのような
と考えたらよいんだよ。
(変えられるしつくれるもの)
と、以前ある方と話していて教わりました。・


自分の基準は自分にしかつくることしかできない、なんてことを
忘れていて、改めて気づきました。
ものをつくったり等すると
誰かに評価してもらいたいっていう癖のような感情が渦巻いてる
自分に気がついて・・・。

なんだかこの文をみてその(話を聞いた時)時のことをまた思い出しました。

自分の基準が自分の思い込みだけではなく、
まわりの人への思いやりや
主観や大切にしたいことなど
でつくっていけるようなひとになりたいな~です☆


カメラは大丈夫でしょうか(><)?
復活楽しみにしてます☆*。・
Commented by room0126 at 2007-08-24 08:42
おぉ、そうなんですか・・・!
実は、この日記のタイトル迷ったんですよね。
今のタイトルともう1つ浮かんで・・。
それが “ものさし” の英訳、 “a rule” でした。(!)

僕も色々と忘れてしまいます。
ふと気付くと大事な事を、忘れて過ごしてたりするんですよねぇ・・・。

ですね、僕もそんな人間で、ありたいな~です。笑


カメラ、まだ修理に出せてなくて・・。
できるだけ早く直すつもりです。
それまではまだ載せてないのを少しだけ載せていきます。
ありがとうございます・・・!

ものづくり、いいものができますように。

Commented by souldoutsouldout at 2007-08-25 17:19
objectivityとは客観性って事ですか?
十人十色のものさしで計る事こそ客観性で
その平均が基準となるのでしょうか?
そしてそんな曖昧な基準には意味など無く
自分をしっかり持ちましょうという事なんかな?

この記事を何度も読んで前半と後半で論点が変わってて
なんかオイラには難しかったです(/\*)
でもコメントを読んだりしててこんな感じなのかと
理解してみたけど合ってるんでしょうか| |д・) ソォーッ…

ちなみにオイラも似たようなことを考える事あります
人の成長でものさしの目盛に差が出るというあたり・・・
オイラはキャパシティとして認識してます
そしてキャパシティが大きい人には小さい人を計る事は出来ますが
キャパシティの小さい人には大きい人を計る事が出来ないと思ってます
燕雀いづくんぞ鴻鵠之志を知らん
に近い感じですが
それでも中にはキャパシティが小さいのに
鴻鵠の想定を超える人間が出てきます
そんな人を逸材と呼ぶんでしょうね(゚ω゚)(-ω-)(゚ω゚)(-ω-)ゥィゥィ
Commented by room0126 at 2007-08-26 09:49
客観性っす。
けど、 「客観」 ってのは、
それって僕らにできないんじゃないか?ってことからつけました。


すいません、この話、書いててわからなくなってきちゃいまして・・。笑
うまくまとまってないかもしれません・・・。
自分で読んでも、途中で少しズレてるように見えるんですけど、んー・・、
けどあながちそこまでズレてないような気もして。
この迷いもいいかなって感じで載せてしまいました。

「それぞれが自分で思うだけだ」、ってコトが言いたかったっす。
そうです、基準というものはあるようで無いよ、って。
僕らはもっともっと自由だよ、って。
なんとなく、そんな感じです。
Commented by room0126 at 2007-08-26 09:57
>燕雀いづくんぞ鴻鵠之志を知らん
調べました。
んー、なるほどですね。
でも、それを人間に当てはめた時に、その大きい、小さい、という
その、 「基準」 がそもそもないんじゃないか、と僕は書きたかったっす。

けど・・・、「大小」ではなくて、「柔軟性の大小」を入れるとハマるような気もしてきました。


・・・またわからなくなってきました。笑


物事を判断する時に、自分のものさしという基準と比較して評価します。
けど、その基準自体が極不確定なものなのであまり捕らわれすぎてもいけないなと思います。
しかし、実際には自分の基準と比較して評価することの連続で生活していて。
そこの矛盾でわからなくなってしまうのかもしれません・・・。
Commented by souldoutsouldout at 2007-08-27 21:05
迷いをそのまま載せるのって
良いですね(≧▽≦)
全ての事に答えがあるわけじゃないでしょうし

燕雀については大小ではなくて志の高さというか
モノを見る時の視野の広さかと思います


自分のモノサシの幅が変わるのは
経験によって精度が増すからという事でもないのでしょうか?
自分で判断する場合は不確定でもそのときのベストなら
それで良いんだと思いますが
その判断を人に押し付けると弊害が出そうですね。

燕雀の事は置いといて
なんとなく言ってることが解ってきた気もします
きっとこんな感じで上手く言葉に出来ない曖昧な感じが
逆に上手く表現できてるのかもしれないですね(≧▽≦)
Commented by room0126 at 2007-08-28 06:09
そう言ってもらえるとありがたいです。

>モノを見る時の視野の広さかと思います
ああ、なるほど・・・、ですね。
僕、なんか自由だ自由だと言いながら逆にかなり縛られて、変に固定的に考えてしまってるような気がしてきました。笑
不自然に。
また少しなにかに気付きそうな気がします。
ありがとうございます。

う~ん、なるほど。
>その判断を人に押し付けると弊害が~
あ、それです。
その辺がいちばん言いたかったのかもしれません。
それを僕がよくやっちゃうので自分に言い聞かせるつもりで。

色々思ってることがごっちゃになって、いくつか話が混ざって
書いてる途中で混乱しちゃったみたいです。
またゆっくり考えてみます。

晋作さん、改めて言うのもなんなんですけど・・・、
こんなトコに書いたこんな文章にこうゆう風にコメントしてもらって、すごく嬉しいです。
あったかいです。嬉しいです。
ありがとうございます。
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